アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

サンデーモーニング

 ひさびさにプリキュアMH☆リアルタイム視聴。他は寝坊したため全滅。後でビデオで補完しまっす。って、うわ、もう仕事行く時間じゃん。感想は帰宅後。いってきまっす♪




 (数時間経過)




 帰ってきますた(´・ω・`)ショボーン
 今日のプリキャアMHなんですが、作画良かったですよね〜。話もこれぞプリキュア節ってカンジで、視聴の感想はさわやか〜☆ …だったんですが、その一方でキレイに作られすぎてる怖さみたいなものも感じました。
 どういうことかというと、今日の放送ではラクロスの試合における「戦い」とそれにおける「なぎさイズム」と呼ぶべきものが描かれました。同じラクロスをやる者ゆえに敵キャプテンをキッパリ「仲間」と呼べちゃう、というものです。そこと対比させると、後半の闇との戦いが、共有なき故に対立があるという不毛な構図そのままのテロ合戦にしか見えないよなーと思っちゃったワケなのです。
 しかもそれが前半の、共有を前提とした仲間意識にすら意味の変容を及ぼしているように、ぼくには思えたのです。その変容とは、仲間でなければ排除して良いという他者切捨てにつながらないかということです。心配しすぎなんでしょうかね?
 「同じラクロスをやる仲間」、たとえばその言葉を、ほのかは、ひかりは、どう受けとめたのでしょうか? ラクロスの部分をプリキュアに変えたのでしょうか? 許せない敵は排除してよいと考えているのでしょうか? そのための「強さ」なのでしょうか? 自分たちの「小さな日常」を守るために戦う、それこそ既得権にしがみつき、武力行使で他者を排除しようとしているだけかもしれないのです。さわやかな視聴感の影にあるこの不気味さは、ぼくの考えすぎなんでしょうかね?