アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

『何日君再来物語』と香港デモのこと

正月に「今年はちゃんと更新するぞ」と言ったにも関わらず、半年以上放置しているワンワンです。すみません…。

この半年の間だけで、令和になるわー著名人は死にまくるわー香港でデモが起きてあわや天安門の再現?みたいな事態になるわーで、まるで89年がもう一度やってきたかのような錯覚に陥るわけですが、まあ錯覚でしょ。

平成は平成、令和は令和。せっかくですし、わけて考えましょ(自己暗示)

でまあ、この半年の間も、自分はテレサ・テンこと鄧麗君(デン・リーチュン)の音源に夢中だったわけなんですが、香港デビュー頃の彼女の音源まで進みまして、最近はぼちぼちポリドール音源も聴いております。

あいかわらず演歌っぽい音源は苦手だったりはするんですけど、だんだん聴けるようになってきました。我ながら慣れのモンダイな気がします。

でまあ、それと並行する読書テーマとして、先日中薗英助・著『何日君再来(ホーリイチュンツァイライ)物語』を読んだワケなんですけれども、これが予想以上に良い本でした。

70年代末に横浜中華街でテレサ・テンの歌う「何日君再来」に出会うところから始まり、その歌の謎を追って渡辺はま子山口淑子李香蘭)へのインタビューを経て、1930年代の中国、とりわけ「何日君再来」を最初に歌った周璇(チョウ・シュアン)にスポットを当てて語られる当時の上海や香港の様子は、歴史の緊迫した面持ちがわっと迫ってくるかのようです。

さらに、その作曲者の壮絶な晩年と、検閲でズタズタにされた抗日映画の、とんでもないディストピアっぷり…。

解説の岡庭昇さんが書いていらっしゃるとおり「二年後にひき起こされた天安門事件の虐殺を幻視していた」、ということなのだろう。読後感のズシリとした重さは、それが現在でも全くちっとも解決していないってことにあるわけで。

そのことの証明が、先日から起こっている香港のデモなんでしょ。

正直言って自分は、心の底から香港のデモを応援できない。それは、数にまかせて為政者を煽るっていう方法論に疑問があるからだ。

天安門の時もそうだった。たしか天安門の時の運動指導者たちが、軍が鎮圧に乗り出す事態になれば国際世論を味方につけられる的なことを言っていて、人民解放軍の「虐殺」はむしろ「想定内」だった的な話をきいた。

今回だって、本当は軍の鎮圧、すなわち「虐殺」をこそ想定しての煽りだったんじゃないの?

それを「勇気ある」とか持ち上げる日本の「民主主義者」がたくさんいるわけですが、いやあキツイっす。それ、戦前の特攻兵を「軍神」って呼ぶメンタリティとどんだけ違うの?? ちょっと考え方が違えば同じ日本人同士にも関わらずののしりあう、ヘンな派閥争い。「売国奴」「非国民」と考え方の違う者を排斥してきたメンタリティとどんだけ違うの??

そんなんで本当に「中国人」とつきあえるの?って自分は思う。

自分は、テレサ・テン、鄧麗君のことを話し合える「中国人」の友達が、心から
ほしいと今思っているが、「民主主義者」たちはその定義のあいまいな「民主主義」の話でもするんだろうかね? デモで権力を煽るのが楽しい!とかそういう話? 心の底からゲスだなって思う。軽蔑する。

だから、とりあえず自分はもっと勉強しなきゃなーって思って、アマゾンで貴志俊彦『東アジア流行歌アワー――越境する音 交錯する音楽人』 (岩波現代全書)をポチったわけなんですね。いや、何が「だから」なのか全くつながりがわからない文章ですみませんけど。

先日日曜に発送しましたと先方から連絡がきたので、今日あたり届くかなって思ってたのに届かず。きっと明日来るはず。もうネットで書評をいくつか漁ったし、頭の中できっとこうだろ的な予想も立てたし(高度経済成長が「流行歌の衰退」ないしは「歌謡曲の次のフェーズへの移行」とか?)、あとは読むだけなんだよなー。早く読みたいっす!