アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

夏目芙美子ソングブック

支那夜曲‐君何日再来 1939年(昭和14年)8月

いろいろと検索して戦前の流行歌を聴いている時に、これ↑を見つけて驚いたんですよね。

オレが知ってるのと歌詞が違うじゃん!全部日本語じゃん!って。

俄然興味が湧いたんすよ。

ところがところが、夏目芙美子さんについてネットで調べてみても断片的な情報しかない。それこそ、上の動画中の説明文くらいしか出てこない…。

夏目は朝鮮出身、和歌山に住んでいたようですが、終戦とともに帰国したやに聞いております。
この歌は多くの歌手が吹き込みしていますが、当時はこの盤が最も好まれたように思います。

 

こりゃモノの本に当たるしかないなーってところで、貴志俊彦先生の『東アジア流行歌アワー』にたどりついたんです。以下引用(P135-136)

「大陸歌謡」の異色の歌手のひとりとして、羅仙嬌(ナ・ソンギョ、日本での芸名は夏目芙美子)を忘れてはならない。周璇の大ヒット曲「何日君再来」のレコードを渡辺はま子に先んじてキングから発売していたことは先に述べたとおりである。羅仙嬌は、三三年に朝鮮のレコード会社シエロンで「新民謡」歌手としてデビューした。シエロン時代に文芸部長李瑞永に朴是春(パク・シチュン 一九一三-一九九六)を紹介し、それがきっかけで朴は作曲家の道を歩み始め、戦前から戦後にかけて韓国流行歌を主導するひとりになった。そのため、朴は羅仙嬌にたいそう感謝している。羅仙嬌は、その後朝鮮少女歌劇の娘々座のスターとして来日した。神戸での歌手活動をしているときに、キングにスカウトされて、三八年頃からキング専属歌手夏目芙美子として活動を始めることになった。「支那夜曲(何日君再来)」*1のレーベルにも夏目芙美子の名が印字されている。このほかの「大陸歌謡」としては、三九年に「娘々(ニャンニャン)祭」(作詞島田芳文、作曲島村菊夫)、「広東夜曲」(作詞佐藤惣之助、作曲杉井幸一)、四〇年に「蘇州の娘」(作詞佐藤惣之助、作曲陸奥明)、「満州祭り」(作詞佐藤惣之助、作曲上原げんと)を出している。朝鮮風の「長鼓(チャング)叩いて」(作詞小沼宏、作曲上原げんと)も四〇年三月にキングに吹き込んでいる。
 四一年一月新譜の「機織る少女」のレーベルから羅仙嬌という本名が印刷されるようになり、「黄河の夢唄」(作詞坂本修三郎、作曲三界稔)などのレコードも本名で出している。羅仙嬌の戦中、戦後直後の活動の軌跡ははっきりしないが、六〇年の第六次帰国船団とともに北朝鮮に戻る道を選択したという記録が残っている*2。羅仙嬌は、戦前に「倭色(否定的な意味での日本流)歌謡」を歌い、戦後北朝鮮に渡った、いわゆる「越北者」のひとりであったために、韓国では歌手としてほとんど評価されてはいない。

 なるほど、そういう方なのね…。

当時の韓国での「新民謡」を含めた状況についてもいろいろと記載があり、いやあおもしろい本です『東アジア流行歌アワー』。

 

また、こちら↓のブログエントリーにて興味深い記述がありました。

モミジガサの探し方「戦前の歌謡その867 夜のランプは暗くとも」

羅 仙嬌 夜のランプは暗くとも  昭和16年
戦前に活躍した朝鮮出身の歌い手で十五年の「満州祭り」まで夏目芙美子の名でしたが、­十六年一月の「機織る少女」から羅仙嬌で歌っています。豊かな感情のこもったアルトで、発音のハッキリした歌唱です。キングにスカウトされる前は弟を日本の大学に上げたいと願って、その学費を稼ぐため神戸のクラブで働いていたそうです。

弟さん、日本の大学に行けたのかしら?

 

さらに、こちら↓も発見しました。キング以前にこんな音源が!

戦前の朝鮮流行歌レコード『살짝돌여요』(直訳:少し廻します。)(コーライ824/羅仙嬌)

  戦前に活躍した朝鮮の女性歌手、羅仙嬌(夏目芙美子)による朝鮮譜の一枚です。
この流行歌盤を聴いて気づくのは、東京・葭町の芸者だった勝太郎(小唄勝太郎) が、昭和8年にビクターで吹き込み大ヒットした『島の娘』(長田幹彦作詞、佐々木 俊一作曲)と曲が大変似ていることです。多少マーチング調になっています。 メロディといい、高音での「ハァー」という歌い出しといい勝太郎とそっくり です。

作曲者は李春風、作詞者は白雲となっています。裏面は羅仙嬌の新民謡で、こちらが A面扱いで曲・詞の担当者名も同じです。 コーライ(高麗)レーベルは、大阪のマイナーレーベルのコッカレコードがプレスし た朝鮮市場向けのレーベルと思われます(詳しい方、ご教示下さい)。

コッカは国歌 レコード製作所として昭和4年頃設立、のちにコッカレコードに改称し、同14年頃ま で存続していた会社と推定されています。

この曲は、『島の娘』と作曲者、レコード会社がまったく異なるので、カバー曲では ありません。コッカは、他のレコード会社でヒットした流行歌と類似した曲名や内容 の歌を制作し、廉価で発売していた後追い商法の会社としての側面があり、『島の娘』との類似点を考えると、この盤もさも有りなんと思われます。

羅仙嬌は高音の美声歌手で、キングレコードで日本語の流行歌を昭和13年から15年ま で「夏目芙美子」名義で、同16年に「羅仙嬌」名義で十数曲を吹き込み、内地の歌謡界でも活躍しています。

ふろあ

このレコード、1933年(昭和8年)のシエロンでのデビューよりも前か後か?
そもそもシエロンとは専属契約だったのか?
来日したのはいつ頃だったのか?
朝鮮少女歌劇の娘々座とはどういったものだったのか? 


故郷のあの唄 1938年(昭和13年)6月

神戸のクラブで歌っていてキングにスカウトされたのは1937年(昭和12年)?それとも翌年の1938年(昭和13年)?
たぶん、日本でのデビュー盤であるこのレコードのリリースが1938年(昭和13年)6月であるから、その少し前くらいではないかと推察される。


城ケ島夜曲 (3:37~) 1938年(昭和13年)8月


朝日映画「出征兵士を送る歌」 1939年(昭和14年)


支那夜曲‐君何日再来 非売品 ナレーション入り 1939年(昭和14年)


歎きの姉妹鳥(井口小夜子・夏目芙美子) 1940年(昭和15年)4月

こちら↓のブログエントリーによれば、映画主題歌で、夏目芙美子の代表曲とのこと。

昭和初期の映画主題歌あれこれ「昭和13年(その7)」

更に翌15年には

☆「松竹 涙の責任」(監督;蛭川伊勢夫)  15/2月封切   現代悲劇

主題歌「嘆きの姉妹鳥・井口小夜子、夏目芙美子」(西条八十・細川潤一)キング 15/3月
「昔恋しい姉妹 摘んだ四葉のクローバの・・・・」で始まるこの主題歌は、夏目芙美子の代表曲として知られている。

 
蘇州の娘 1940年(昭和15年)2月

この曲と、前年7月リリースの「娘々祭」は同じメロディなんだそうです。でもYoutubeに夏目芙美子の「娘々祭」上がってないので確認できず…。

詳細は以下のブログ参照。

ぶろぐろじん「異名同曲」 

先日熊さんから「これってそうじゃない?」と報告を受けた曲がキングレコードから発売された夏目芙美子の「娘々祭」と「蘇州の娘」、聴いて見るとまさしく同じメロディ、但し作曲者が違う名前、この場合「変名」を使用する場合が多いのだが。
            カッブリング曲
娘々祭  島村菊夫作曲 海南島から(筑波高)  30075 S14.7
蘇州の娘 陸奥 明作曲 李さん王さん(岡晴夫) 40028 S15.2

陸奥 明はタイヘイ、ポリドールでの制作がほとんどで、キングで発売したのが疑問点の一つ、二つ目は昭和14年の「娘々祭」では島村菊夫で、翌年の「蘇州の娘」でなぜ陸奥明になっているのか。
レコード盤を見たことが無いので判らないが、よくあるレコード会社での誤記も有り得る。
はたして島村菊夫は陸奥明の変名か?

 

満洲祭り1940年(昭和15年)7月

 

娘娘祭 - にゃんにゃんまつり

歌はどなたが歌っているのか説明がないのでわかりません(たぶん夏目芙美子ではないと思います)が、映像はたいへん貴重なものなので紹介しておきます。

満州国の大石橋にて行われた娘娘祭こと娘娘廟会の貴重な映像。
1947年中国共産党によって寺は焼却爆破され、祭りも途絶えた。1992年以降共産党地方政府が文化遺産修復政策によってこれを復元復興するも、かつての賑わいはない。


黄河の夢唄 1941年(昭和16年)10月

 本名の羅仙嬬名義で3曲を、1941年(昭和16年)に吹き込んでいるのだそうで、そのうちの1曲がこれ。いわゆる典型的な「大陸歌謡」ですね。

 

韓国・朝鮮の歌手が、日本に来て中国っぽい歌曲を歌う…というこのアレげな感じに胸がざわついてしまう。と同時に、調べれば調べるほどに、当時の日本のダメな感じに落胆っすよ。なんだかんだ言ったって、当時の日本はダメだよそりゃ。謀略による侵略行為だもんな…って、中学生の感想文みたいな雑なまとめ方ですみません…。

*1:*1 これ、ホントにちょっとしたまちがいなんですけど、レコードのレーベルでは「支那夜曲-君何日再来-」ってなってるんですよねー。Youtubeに上がってるどの動画を確認してもそうなってます。

*2:*2 いろいろ事情があるのかもしれないですが、その記録ってどういうものなのかをちゃんと記述しておいてほしかったですよ貴志先生…。