わからないかもしれないけど
大島弓子三冊セット*1を貸していたマンガ友達(男子)から感想を聞く。とにかくワケがわからん、とのこと。うへー、世代のギャップなのか、はたまた文化圏が違うのか。彼はいまどきの白泉系少女マンガファンで、それでも成田美奈子や川原泉も好きのようなのでだいじょぶだと思ったんだが、そかー、わからないのかー。
もっとも紡木を受けつけないと言ってたヒトなので、ま、しょうがないかー、とも思う。むしろ大多数のまっとうな意見なのかもしれない。万人が万人三浦衣良に共感できるということはやはりないワケで。共感できるっていうヒトは、やはりごく一部のヒトだけってのが正しいんだろうな。全くツマラナイ世の中だが。
わかってもらえないのはツライ。やっぱりわかってほしいと思う。でも、わからないヒトにわかってもらうのは、ものすごくタイヘンなのだ。いつもちっともわかってもらえない。だからしょうがない、わかりやすいものを演じてあげたり、マンガや小説を貸して説明してあげたり、こうやって文章を書いてみたりするのだが、それすらもわかってもらえなかったりする。でも、それならまだイイのだ。単に自分のやり方がダメなだけで、精進すればイイことだからだ。
自分がわかりたいように決め付けられたりすることがある。それを差別というのだが、そんな意識はテンからない。というか、そんなことを考える頭もない。そんなヒトがいる。おそろしいことだと思う。その自分のおそろしささえ気付けない、気付いても、改めるどころかそれを誇りにさえして生きているのだそうだ。なるべく、そんなヒトとはつきあいたくないと思っている。
できたらヒトのことをわかりたいと思っている。でも、勝手にわかるっていうのはなるべく控えたいと思っている。むかしは勝手にわかって、それをつい口にして、「ヒトの心に土足で踏み込んで!」なんてよく怒られた。だから、なるべくヒトの心のことは、そっとできる範囲でそっとするようにしたいと思っている。
ヒトとヒトがわかりあうのは素晴らしいと思う反面、そんなの無理だよとも思うし、また万が一わかりあえることがあるとして、それはそれでおそろしいことだとも思う。それでもぼくは、仲良くしたいヒトにわかってもらいたいし、わかりたいと思っている。
文章にするとこんなにまどろっこしくなるけど、こういうことをほぼ一瞬で考えまくっている。いつもいつも、そうなんだ。