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いくえみマラソン その6

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△▼△いくえみ綾 その11△▼△
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 こないだ書いた「雨の中の絶望シーン」についてですが。読み返してみると「君の歌がある」にはそんなシーンないんですよね…。あれえ?? あると思ってたんだけど、おっかしいなあー。今日はだから、どうして「雨の中の絶望シーン」が「君の歌がある」にはないのか? について書きます。って、いくえみ読んでないと全然わかんない話っすね、ま、いつもだけど(笑)
 まずね、「雨の中の絶望シーン」とはどういうものか?についてですが、例えば「みつめていたい」ラスト近くっすね。祥児と喫茶店であって、その後傘もささずにズブ濡れで家に帰るのね。そこのモノローグ──引用しようと思ったけど貸し出し中やった(笑) あとは、「バラ色の明日」の「第9話 who」──「カサを/わすれた/とりにもどろう/もどれば/さっきのはウソで/あの夏の/あたしのおじさんが/いる…」それから、それから…アレ、もっとあると思っていたのに、ナイじゃん! おっかしいなあー。

 これらのシーンですが、まずは「みつめていたい」ね。前に指摘した通り、この作品は実は「POPS」のリメイクという側面もある。さらに言っちゃえば「たらしの三島」を女の子に置き換えた話だったりもするんですよね。そうっすとこんなに重い話で全然すすんでいかないのはナゼ?というのは、ハッキリ言って男と女はこんなに違うっていうだけの話でしかないんですよね〜。いくえみの技術力のなさのせいではないと思う。もっと根源的なテーマなんだよね。そんでまあ、男尊女卑を推し進めているのは誰か?という話になって、それは結局女の依頼心だ!って話にしちゃうと、フェミニズムで女性解放な方々から噛み突かれそうなんですが、実際そうなんだからしょうがないじゃん。と言ってみるテスト。

 実際いくえみのマンガはそのあたりをかな〜りテーマにしてないか? 誰かのせいにするのをちゃんと軌道修正して、ちゃんと考える主人公たちを描いていないっすか? フェミニズムや女性解放とは別の次元で。「二人を同時に好きみたい」という真千子の気持ちも、時間とともに「高哉に逢いたい」って気持ちに変わってくる。まあ、このあたりは多分連載打ち切り決まった後の展開なんで、ちょっとモノローグで流しすぎなんすけどね。

 結局真千子の不安感の正体とかは描かれずじまいで終わってしまうし。例えば家族の中で「イイ子」の妹との比較され続け、家の中でほっとかれてる、とかね。根本にこれがあるから、学校なんかでやさしくされると過剰に受け止めてしまうんですよね。家の中が自己疎外の場となってしまっている子供を描いた話なんですよ。でまあ、ラストあたりでは妹・真理子ちゃんの性格がちょっと変わって、二人は前よりずいぶん仲良くなってる。このあたりが、不安感が整理されて、自己嫌悪を抜け出して、本当に必要なひと、本当にみつめていたいものを見出すことのバックボーンになるはずなんだよね。で、それにはどうしても比較していた母親の描写や主人公との葛藤が必要なはずなんだけど、そこまで描けなかったのね。

 そのヘンを描いたのが「私がいてもいなくても」。この場合、比較されるのはお兄ちゃんとなってます。だから、「私がいてもいなくても」はもう一回やった「みつめていたい」なんですよね。もう一つの「みつめていたい」である「君の歌がある」ですが、こちらのほうは、兄弟じゃないんですよね。兄弟の設定は彼氏側にして、カニ三兄弟で男の子キャラの3類型を描こうとしておりますが、友達に「イイ子」の友里を設定して、同じシチュエーションに主人公・永見子を置きます。例の池田くんのエピソードね──中学時代の永見子&友里が図書館で勉強をしながら、二人して憧れてた男の子・池田くん。彼が友里に告っちゃうんですよね。そんで永見子はキズついてしまう、と。これがトラウマ。だからこそ、要士が友里と前に…ってのがどうしても許せないなんだよねー。

 でも、この2作がそろって「みつめていたい」のハイライトシーンである「雨の中の絶望感シーン」を使ってないんですよー。これはなんでなんだろう?? 単に使う必要がなかった? もし使うとしたらどこらあたりだろう? もちろんラスト近くのハイライトシーンに入れるはずだから、「君の歌がある」なら2巻ラスト近くの二人が別れるとこだよね。マンションの階段で永見子が座って待ってるとこ。冬で雪が積もっててって設定にしてあるんだけど、あそこであのドシャ降りの雨ってのもアリだったハズ。なのに、どうしてそうしなかったのか? あるいはそのちょっと前の、中尾さんに例のことを告げられるシーンね。あそこでドシャ降りでもよくなくない? なのにどうしてそうしなかったのか?

 「私がいてもいなくても」ではどうだろう? モノローグなしで考え込む(というか宙を見ている)主人公・晶子のとこあるじゃん。あのあたりで入れても良いのでは?? あんまりにもあんまりだし、ドラマチックすぎて使いづらいってことなんだろうか? それともこんなことは、悩むまでもナイことなんだろうか? きっとそうだろうと思いつつ、気になったから書いてみますた。マニア以外にはどうでもイイ話(笑)