アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

いくえみマラソン その1

 たしか高橋源一郎だったと思うけど、エッセイか何かで、奥さんといっしょに村上龍の作品をマラソンのようにデビュー作からずーっと一週間くらい読みまくるというのがあった。主人公たちの口調をマネて「すごおおおおい」と言ったりしながら、食料もテキトウにとにかく読みまくる。まさにマラソンそのもので、体力を試されるハードな読書の風景だ。また、そおゆうのは村上龍作品にふさわしいとも思う。
 そこまでハードではないけれども、ぼくも時々発作的に、狂ったように、何かにとり憑かれたように、マンガを読み出すことがある。もちろん少女マンガが中心だ。中でもいくえみ綾の作品は、ホントにハマって読みまくって考えまくる。
 なんでこんなにいくえみのマンガが好きなんだろう? それは、ぼくがいくえみのマンガの登場人物たちにちょっとづつ似ていて、ちょっとづつ違うからだが、←こんな説明では誰にもわかってもらえないな。あ〜あ。


 だから、というワケでもないんだけど、ちょっといくえみマラソンの為の下地コースをつくってみようと思う。とりあえずのものだから、まあメモっちゅうか、チラシの裏っちゅうか、そんなものだと思ってもらってけっこう。関係者各位には、我が家マーメイドの少女マンガコレクションを物色する際に、こうゆうのもアリってことでご記憶にお留め頂ければサイワイであります。
 そうそう、ココを参考にしてくだちい。以下はネタばれの内容を含みマッスル。お気をつけくだちいませ。じゃあ、はじめますYO!


 まずはデビュー作の「マギー」から。別マ79年7月号掲載。16ページ。単行本『初恋ゴールの向こうがわ』収録(絶版)。暗い話なんだよね。親子三人で入水自殺して、ただ一人残されたマギーという女の子の話なんだ。ショックで記憶を失い、言葉も忘れてしゃべれない。いつも無表情にボーッとしてる子なんだ。そんな女の子じゃ物語にならないだろ? そう、だから語り手は別にいるワケ。それがフラリとこの街にやってきて、はじめて見た雪に感動したウォードくんていう若い男の子。
 彼がマギーを見かけて話しかけるとこから物語は始まる。反応のないマギーにウォードくんは「?」となるが、街行くおばさんが「その子に話しかけてもムダだよ」と詳細解説。「なんかほっとけなくなってきた」ウォードくんはいっしょに歩いてった。その行き先は湖だ。森の中の、雪が舞い散る冬の湖。彼女たち親子三人がかつて身投げした場所で、彼女は思い出せない悪夢を思い出そうとしているのだ。
 森の中で猟師たちがキツネ狩りの話をしている。夜毎ニワトリを荒らされて彼らは憤っている。それを聞いたウォードくん、湖に小石を投げながら、「そらひでーなぁ/キツネにだって生きる権利あらぁな/くわなきゃ生きてけないだろ/なあ/カワイソなキツネさん」とマギーに話しかける。その時、マギーが笑うのだ。「やさしいひとみで/声のないくちで」笑うのだ。一瞬の微笑み。もう一回見せてとせがむウィードくん。だが、彼女はまた、声のない無表情の世界に帰っていってしまう。
 場面変わり、街の娘たち二人組。マギーが若い男と二人で歩いてたらしい、まあ!口もきけなくてボケっとしてるだけのくせにナマイキ、そんな話を悪意ある笑いとともにしているところへ、マギーがやってくる。二人組は悪意たっぷりにマギーにつめよる。「あなたのパパってさんざん悪いことして金もうけて結局はいきづまって一家心中したんでしょう」と。
 マギーは、だから心を閉ざすのだ。自分の世界にひきこもるのだ。「マギー/いても/いなくても/おなじだもの/マギー/ともだち/いらないもの/なにも/いらないもの」──何もないマギー。誰もいないマギー。誰にも心を開けないマギー。なにより自分自身にさえ心を開けないマギー。雪の日の道行きに、悪夢が埋まっている。さがしてるけど、さがしだすのがコワイ。でもさがさなきゃ。さがさなきゃ。さがさなきゃ。一体何を? 雪の日は足が勝手に湖に向かう。やがてキツネ狩りが始まり、彼女はその流れ弾に当たって──。


 いくつか気になることがある。たとえばあの女の子二人組。マンガの中では悪意として描かれているが、あれは本当に悪意なのか? あの二人組のそれは荒療治ととれなくもないって思わないか? ウォードくんにしたところで、気に入ったって理由だけでマギーにくっついてるワケではあるまい。実際彼はマギーを「性的」存在だと考えてさえいる。冒頭にあるセリフ──「女のコはまた(股)ひらいてすわるんじゃないよ」 少なくとも、こういった解釈のほうがずっとずっと今のいくえみが描く世界に近いように思うがどうだろう?
 いったいいくえみは、このデビュー作で何を描こうとしたのか? 彼女はこの作品でデビューした時14歳だった。中学生デビュー。おそらくだけど、彼女自身がクラスの中で、このマギーのような位置にいる女の子だったと思える。実際このモチーフは、『I LOVE HER』の孤高の美少女・艶香や、近作『あたしがいてもいなくても』のマンガ家・真希にまで受け継がれてはいないか。さらに言えば『POPS』の安友…って覚えてないっしょ、読んでるヒトでも。でも彼女がいないと『POPS』があんなに面白い作品になったかどうかわかんないとぼくは思うよ。だって、こんなセリフを言うんだよ──「あんた以外にも/人には気持ちが/あんのよ」