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ワンワン!ワンワンワン!

いくえみ綾『プレゼント (マーガレットコミックス)』

プレゼント (マーガレットコミックス)

プレゼント (マーガレットコミックス)



 いくえみ綾を読むようになって、もう何年たつかな? 20年近くになるな、きっと。新作がでると、いつも新鮮な気持ちで読ませてもらってる。本当に大好きだ。
 で、昨日『図書館の神様』を取り上げたので、今日は本を読む女の子の話にしようと思って、これを取り上げさせて頂くことにしますた。『プレゼント (マーガレットコミックス)』は短編集で、3本入ってるんだけど、その表題作のお話ですだ。


 昨日「行間」の話をしたけど、もういくえみのマンガってば「行間」の嵐っすからね。とにかく余分な説明臭い説明ってのは一切なし。だから、初心者にはおすすめできなかったりもするんだけど、逆にこっちに慣れると、臭い説明のあるものはみぃ〜〜んなよせつけなくなっちゃうんよね。
 ある時期に、女の子がりぼんやなかよしから別マに乗り換えるのって、そゆことだと思うんだよね。りぼんやなかよしのマンガ、いやになるくらい状況説明をキャラにセリフでさせてるもん。あ、もっとも最近の別マの主要作家もそうなりつつあるから、もう昔の話になっちゃうのかもしんないけどねー。
 で、カンジンの『プレゼント』なんすが、これ、かっきり100ページなんだよね。なのになのに、その読み応えときたらもう! 三部構成になってて、それぞれ13歳、18歳、21歳と主人公の成長を追ってるんだけどね、これがもう! ああ、何から話せばイイだろうね。

その1「13歳の青い春」

 中学2年生になったばかりの、クラスの初日の描写から始まる。何気ない日常描写の中にスルリスルリと無駄なくネームがちりばめられ、しかもクラス初日の雰囲気バッチリで、いやあもうホントにうまい。それが「ちっこい世界/だけど/あたしらの/ほとんどすべて」というモノローグに収められてゆく。
 ちっさい世界の中で、大きい視点でモノが見えなくなっちゃって、ビミョウな違いさがしの結果、違ってる子が孤立していく。人間関係が煮詰まるから、むしゃくしゃとウップンがたまるから、クラスで噂が力を持つ。声の大きい子が勝っていく。
 ああ、もう何書いてるか自分でもよくわかんないんだけどさー、そおゆうちっこい世界の中で、主人公にとっての本って何か? あるいは音楽鑑賞の時間の後の主人公の「きれいだったな…」は何なのか? そのあとどうして近江(って男の子が出てくるんだよ)は「な!」と言ってさわやかに微笑むのか? ね、「行間」のオンパレードなワケですよ。
 夏休み、ふらっとよった学校で園芸部してる好子(って女の子がでてくるんだよ)に逢って、なぜぽつりと「あたし…/本読んでるとしあわせなんだー」って言ってしまうのか?
 決まってる。そんなの決まってる。近江も好子もクラスで孤立しているからだ。近江は堂々と孤立してる。だからクラスの中で孤立してるようには見えない。好子はオドオドと孤立している。だからあからさまにクラスで孤立していて、いじめられる。主人公の亜希は、その二人の間で揺れる読書好きの13歳の女の子なんだ。だから、「13歳の青い春」編のラスト、近江のはなった「恥を知れ」のセリフが、亜希に向けられたものでないにもかかわらず亜希の心に深く響いてしまうのは、亜希がちゃんと孤立の側に立てなかった、わかっていたのにごまかそうとしてしまったからなんだよね。

その2「18の分岐点」

 続いての「18の分岐点」編で、主人公が中学時代とは全然別人のように描かれているのは、孤立の側に立てなかったことが継続して続いてしまっていて、それゆえに何も考えれない思考停止状態に陥ってしまっているからなのだ。彼氏のことを「井原のなんも考えてなさそうなわらいがおが好き」というのは、そういうことだと思うんすよ。そりゃそうだ、考えれば罪悪感しか浮かんでこないはずなんだから。そこから逃げるためにクラスのみんなの中での偽りの自分に逃げ込んだんだから! そうでなきゃ、近江に再会した時、あんなふうに時間が止まったり、すぐに目を伏せたりしないはずだもの。自分から会いに行ったのだって、会いに行かなきゃって思ったんだよね。自分から携帯告げるのも、電話で過去の話になるのも、そりゃもう当然なんすよ。そこから逃げたことがテーマなんだもの、このマンガ。「そこ」っていうのは「自分」ってことね。
 いつもあの「コンタクトおちた」のとこで泣いてしまう。戻らないはずの時間が戻る瞬間。自分が自分だった頃を取り戻す瞬間。そこにいてくれる他人。自分を自分として受け入れてくれる他人。あの頃と変わらないさわやかな微笑みで、「今度いっしょに/杉浦に逢いにいこうな」……もうココ最高だよね。って読んでないヒトには何のことやら、だろうけど(笑)

その3「21の………」

 その後の「21の………」は、エピローグというか。カンジンの再会シーンは描かれないし。「で主人公は誰とくっついたの??」的な興味しかないヒトには、なんのことやらなんでしょう。でも、これはそれぞれのキャラのそれぞれの人生のそれぞれの事情を、含みをもたせて描いたリアリティある終わり方だとぼくは思うよ。ここに「行間」極まるというか。だから、「行間」のわからないヒトはこのマンガ「つまんない、わかんない」って言うと思う。でまあ、そういうヒトはあんまりいくえみ読む意味はないと思うのね。そおゆう作家だからさ。そんで、だからぼくは大好きなのさ。