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ワンワン!ワンワンワン!

瀬尾まい子『図書館の神様』

図書館の神様

図書館の神様



 この本さあー、すごく読みやすくて、スラスラ読めたよ。意味の取りにくいところも全然なくて、フツーにすらーって。そのぶん、気取りたいさかりの若い頃に出会ってたら、ちょっと敬遠しちゃうかもなあーと思ったのね。なんかわかり易すぎてちょっとアレだなーって。
 ほら、若い頃ってさー、気取りたいじゃん? ちょっとムツカシイ本も読めちゃいますみたいな。なんか、深刻ぶって熟語で考えたら字面的にシリアスっぽく真面目っぽくなるじゃん?コムツカシク理屈でかためて、難解至上主義ちゅうかさー。若いとそおゆうのがカッコイイかもって思っちゃうんだよね。これは、そゆのとは明らかにチガウ本だってこと。


 一応あらすじ。中学高校とバレーボール部ひとすじで過ごした主人公だったが、キャプテンだった高校3年の時に同じクラブの子が自殺しちゃうんだよねー。遺書とかはないんだけど、お情けで出してもらった練習試合がそのコのせいでズタボロで負けて、試合後のミーティングで逆上した主人公がアレコレ言っちゃった、まさにその夜ハイあの世行き。
 お前が殺したも同然ってな周囲の視線に耐えられず、主人公はそれ以来「自分らしさ(みたいなもの)」をなくして迷走人生。てなところから物語は語られます。
 んでまあ、不倫したり、思いつきで臨時教員になったり、学校でバレー部顧問を目指すも文学部顧問になっちゃたりするワケなんだけど、そのあたりがドタバタと描かれたりせず、さらっと説明で終わらせてあってね、でまあ、日常をさらりさらさらと描いているワケですだ。


 いろいろとおもしろいなーってポイント、いくつもあったんだけど、とりわけ言葉との距離のとり方がすっごくうまいなーと。それが読みやすさの一番の理由だと思う。なんていうか、しつこくないのだ。あっさりさっぱりしている。余分なアクがないというか。
 それはキャラクター配置にも言える。主要登場人物は、主に4人。主人公とその弟、生徒、不倫相手。その他、脇に生徒と同僚を一人二人。いたってシンプルなんだよね。物語自体もシンプル。シンプルというより、ほとんど別に何にも起こらない。上に書いたあらすじは、単に冒頭にそれこそあらすじのように置かれるだけなのであそこが一番ドラマチックと言えなくもない。淡々と日常があって、その中での感じ方とか考え方とかがごくごくシンプルに書いてある。でもちゃんとおもしろいんだよね。
 単にさ、日常書いてもそんなにおもしろくはならないじゃん?それがちゃんとおもしろいのは、キャラがおもしろいのと、シンプルの中に含みをもたせた書き方がやたらにウマイからだと思ったのね。そのふっくらした部分で、ぼくら読者はいろいろ想像する。つまりそれが「行間」ってことでしょ?
 もしさらさらっと読み流しちゃったヒトがいたら、もう一度、ちょっとゆっくりめに読むと、またおもしろいと思うよ。
 で、ついでにもうひとつ。そうしたシンプル設計ゆえに、ラストの走るシーンが動的で際立って爽快感あるんすよね〜。あと地域バスケの時と。地域バスケ→ラストの走るシーンってのが、主人公がもう一度動けるってのを、つまり「自分らしさ(みたいなもの)」を再発見するプロセスになってるでしょ。逆に不倫相手といっしょにいる時は、動けない自分に甘えちゃうための描写になってる。ウマイよね。わかりやすすぎる気がしないでもないんだけどね(笑)


 たださあー、一応言っとく。「図書館の神様」って、ぜんぜん出てこないじゃん。出てきたじゃん!っていうのは「行間」のわかるヒトでしょ。ぼくが想像してた「図書館の神様」は出てこなかったよ。
 いつも日曜の決まった時間に図書館であう女の子に胸キュンの主人公(もち中学男子)。日曜日、いつものように図書館に出かけると、図書館でみかけたことのあるくっさい浮浪者が数人の高校生らしきヤンキーたち(2ちゃん語でドキュソ)にボコられます。アイツ前からくっさくてうっとおしかったんだ、いい気味。そんなふうに思う主人公でしたが、憧れの女の子が見ている前でカッコつけたいがためだけにヤンキーたちに挑み、いっしょにボコボコにされてしまいます(あ〜あ)。でも、その浮浪者のおっちゃんこそ、実は「図書館の神様」だったのです…。