アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

藤子・F・不二雄『大長編ドラえもん (Vol.1) のび太の恐竜 (てんとう虫コミックス)/のび太の恐竜』

大長編ドラえもん (Vol.1) のび太の恐竜 (てんとう虫コミックス)

大長編ドラえもん (Vol.1) のび太の恐竜 (てんとう虫コミックス)

 今日、なにげに古本屋でこの単行本を見つけてしまった。古本屋で見つけてしまえば、それは運命と決めているので、即GETしますた。…いや、実はちょっとだけ躊躇したんですけど、冒頭数ページを読んだだけで、ぼくはタイムマシンに乗ってしまったのだった。胸がズキッとして、もう買わずにはいられなくなってしまったのだった。


 話はこないだのGWに戻ります。『映画プリキュアMH』を岡山で観終わってから、ちょっとロビーでくつろいでた。娘と姪は連れ立ってトイレに行った。ホッと一息。子どもの世話ちゅうもんは、慣れぬ身にはなかなか疲れるものです、いや、心地よい疲れなんですけどね〜、慣れてないとどうにもねえ〜。ふと、なにげなく置いているチラシに目をやると……。
 エエ? ウソッ! ホントに??
 そうです、来年、あの超名作『のび太の恐竜』がリメイクなんですYO!

http://dora-world.com/news/movie2006/index.html

 『ドラえもん』は今年で35周年なんですが、実はぼくと同い年です。連載開始は1970年、大阪万博の年。大阪万博がイメージした「未来社会」からやってきたのがドラえもんってワケなんですね。ま、このあたりの詳細はググればいくらでもマニアなHPがあるでしょう。ぼくはぼくで、ちょっと個人的なことを書かせてもらいます。
 ぼくはコロコロコミック第一世代で、小学校3年か4年の時にコロコロ創刊なんです。イナカに住んでいたので、読み出したのは創刊4号くらいからになります。コロコロにあって『ドラえもん』は表向きの看板マンガで、必ず3〜4本くらい掲載されていたように記憶しています。もっともその後にぼくたちが熱中したのは『ゲームセンターあらし』(炎のコマ!)や『とどろけ一番』(秘技答案二枚返し!)だったんですが、むろん『ドラえもん』がキライな子どもなどいなかった。『ドラえもん』をはじめとする藤子不二雄先生の単行本をたくさん持ってる子は間違いなくクラスのヒーローでしたから。
 その頃『ドラえもん』のTV放送自体は、たしか日曜の朝8時くらいからやってたように記憶しています、70年代末のお話です。今、あえて何も調べずに書いているんですが、間違いがあればコメント欄に書き込みお願いいたします…。団塊の世代の子どもたちであるぼくたちをメインターゲットにして、小学館テレビ朝日のメディアミックス戦略がうまく軌道にのり、そのいきおいを固めるために作られたのが、映画第一作である『のび太の恐竜』だったワケです。この映画は80年に公開されました。 
 小学校の頃、ぼくは学研の『恐竜図鑑』をながめてはニコニコしていた子どもだったから、この映画はまさに自分のために作られたとしか思えない映画でした。のび太とは、自分の分身だったワケです。あやとりと射撃しかとりえのないダメな子ども──ぼくもクラスの隅っこで絵を描いていれば満足していた内気な子でした。絵を描く格好のネタが『恐竜図鑑』だったんです。ブロントサウルスやティラノサウルス、そしてフタバスズキリュウ! 今思うと「双葉鈴木竜」なんだけど、子どものぼくは「フタバス・ズキリュウ」だと勝手に思ってた(笑)


 例によってスネ夫の自慢から物語は始まる。ティラノサウルスの爪の化石をパパのアメリカ土産だと言って自慢するワケだ。例によって例のごとく、のび太だけがちゃんと見せてもらえない。この適度な「いじめ構造」が実は『ドラえもん』の人気の秘密だと思うんだけど、まあそれはいいや。とにかく見せてもらえなかったのび太はくやしまぎれに宣言しちゃうのだった──「自分で見つけてみせるぞ! ツメだけじゃなく、恐竜のまるごとの化石を発掘してみせる!!」
 もちろんみんな大笑いだ。ここでいうみんなというのはスネ夫ジャイアン・しずかちゃん。そして読者であり視聴者であるぼくたちだ。でもね、みんな嘲笑して笑ってるワケじゃないよね? なんだかんだ言って、こんなことを言い出すのび太をみんな愛しているんだよね。いわば、小さなサークルの中でのお約束としての「いじめ構造」なワケなんだよ。もちろん、のび太をバカにしてないっていったらウソになる、バカにしてるとも。でもそれは愛すべきバカなんだよね。ぼくたちは心の中で、こんなふうに思っている──こんなバカなこと言い出すヤツ、いるいる!(ひょっとしたらそれって自分かも…)。
 もちろんのび太ドラえもんに相談する。いつもの他力本願、困った時のドラ頼みなんだけど、ドラえもんは「できることかできないことかよく考えてからしゃべってくれ!!」と突っぱねる。突っぱねられて、でも自分が言ってしまった「よけいなこと」にひっこみもつかなくて、のび太は自分で化石を発掘しようとする。山のように本を積み上げていきなり勉強しだすんだ。男の子の意地、プライドだよね。いや、女の子にもあるものだろうけどね。 とにかくのび太は一人でがんばる。それをドラえもんは見守ることにする。そしてどうなるかというと、マンガみたいな話だけど──いや、マンガなんだけど──ホントに恐竜の卵の化石を見つけちゃうのだ!
 興奮してドラえもんに自慢するのび太、鼻息も荒い。しかしそんなのび太ドラえもんは冷水を浴びせるがごとく「だけど、どうしてこれが……」(ここでコマが変わる→)「恐竜の卵だとわかる! ただの石っころかもしれない……。」(さらにコマが変わって部屋を出て行く、後姿で捨てセリフ→)「化石だとしても、古代の木の実かなんかかもしれない。ナウマンゾウのウンコかもしれない」。くやしそうなのび太の顔。このあたりのコマ運び、まちがいなく藤子・F・不二雄先生だ、ウマイ!
 憤慨しながらも考え悩むのび太だったが、そんなもののたしかめ方がわかるくらいなら毎回テストで0点とったりはしないワケだ。ドラえもんを追いかけて、部屋から出てみると、廊下に一枚のふろしきが落ちている。タイムふろしき! そう、つつまれたものが時間をさかのぼるという道具です。これを使って一億年前の状態に卵を戻そうと思いつくのび太。もちろんかげながらあたたかく見守ろうと決めた、ドラえもんの粋なはからいです。
 この後、ホントに卵がかえって、その恐竜はのび太を親だと思ってなつくわけなんだけど、ドラえもんのび太をかげながら見守るという構図と、がむしゃらに卵をかえそう、卵がかえってからは恐竜・ピー助を必死で育てようとするのび太、という二つの構図が合わさってる。そこのところがこの作品の真骨頂でしょう。*1


 これ、最初は短篇として描かれていて、この単行本でいうと39ページでオチとなって終わるんですよ、短篇では。単行本の何巻に収録されてたっけ? それをふくらませて劇場用に描き直したんですよね。だから、今読むと後半の未来のお金持ちの恐竜ハンターやタイムパトロールがとってつけたような登場となっているのも仕方ないかなーとか、この後半あたりが前半のテーマとあまり結びついていないのは残念かなーとか思ったりもしますねー。*2
 でもでもでも、今回この作品を映画としてリメイクするっていうのは、声優陣が一新してからの新しいスタートにふさわしいからでしょう。ぜひ、後半のプロットをもう少し練って、旧作に負けないものにしてほしいと思ってます、期待大!

*1:このあたりの構図重ねってのは、プリキュアMHでいうとあかねさんとひかり/ひかりとポルンを描いた8話が同じ手法でしょ。つまり『のび太の恐竜』がイケル人ならプリキュアもイケルんでわないかと思われ(←いつもの結論┐(´ー`)┌ )

*2:プリキュアの場合は、少なくともMHになってからは、ちゃんと考えられてますからねー。8話とか先週15話とか、ホントにウマイ!