アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

いくえみマラソン その3

 今日は『天然バナナ工場』〜『POPS』あたりの話になります。ぼくは一応リアルタイムで読んでますが、まだそんなに身を入れては読んでなかった。後に単行本でまとまったものを読み返して、名作であることを「発見」することになるんですよ。それも超!名作であることをね。
 しかししかし、驚くことに評価はイマイチで、次作『彼の手も声も』を含めて「紡木フォロワー」だの「モロパクリ」だのと言われている。今でも2ちゃんの紡木スレではいくえみ叩きのカキコミをする輩が大勢いますが、ま、正直そゆ輩は紡木さえマトモに読めてるか危い気がしますね(´ー`)y-~~
 というのもですね、そもそも作家としてのベクトルが違いすぎる両者を同じテイストと括るのがそもそも間違いなんですよね。脇役を考えてみればわかるのだ。紡木たくは、たとえば親の世代を描くのはバツグンにウマイ。でも主人公の同世代はどうだい?
 例えば『ホットロード』だよ。暴走族ナイツのコたちって、あくまで脇役として描かれているにすぎなくないか? 学校をテーマにした『机をステージに』でもいいよ。高屋とカンサイ以外のマーガレットのメンバー言ってみれってんだおー。脇のチョイ役にすぎないんだおー。『瞬きもせず』にしたってそうだおー。それぞれのキャラが、物語の文法の中に納まりきってないか? つまり主人公が「特別」っていう特権階級になっちゃってるんだおー!
 それに対しての『POPS』の主人公の同級生たちのキャラの立ち方&多彩さはどうですかってんだ。ガンちゃんとミキがくっつくの、おぼえてるっしょ? 安友の重要性はこないだ書いたっしょ? 『天然バナナ工場』も同様、数年たったラストのそれぞれの未来はどうよ?
『彼の手も声も』を『瞬きもせず』のパクリいうてる輩は、どっちもちゃんと読んでるのかと問いたい。小一時間問い詰めたい
 そもそも世界観も物語の組み立て方も全然別物じゃん? たまたま別マのくらもち女王から派生した演出方法が似ているだけじゃん? あるいは、紡木人気による編集からの要請でカラー原稿であのテイスト醸し出したってくらいじゃん? あれをパクリというなら、別マのたいていのマンガ家はくらもちのパクリじゃんか!


 ちょっと興奮しすぎ、閑話休題(笑)


 『POPS』の出だしのエピソードが好き。雨の日に意識してた男の子(三島)から「帰る時も雨降ってたら、相合傘しましょ♪」とか言われて、祈るんだ、「………雨/やまないで……」って。結局は雨はやんでしまって、虹が輝く青空が胸に痛かったりするんですよ。傘を後ろ手に持って、うつむいちゃったりするんですよ。薬子かわいいなあー。
 そんでもってラストが大好き。大学生になった薬子が、頭数足りないからと合コンにさそわれ、行くと三島がいてると。で、ケンカになるのね(笑)「男が何考えてこーゆーとこ来るのかわかってんのか」「じゃああんたは何考えてるってゆうのよおっ」「…ゲ」二人とも絶句。ニヤリと笑う主人公。
 このシーンが「わだ…かまりがのこってて/おかあさんと暮らせないなら/あたしがいっしょにいてあげる」という薬子のセリフと、それに対する三島の受け答え「ありがとう」の間にはさまれてるんだよねー。これって超ウマイ演出だと思う。だって、シリアス一辺倒にならないじゃん。


 シリアス一辺倒の紡木が好きなヒトたちって、結局マジメな人たちなんだよね。『ホットロード』で主人公たちやんないしね。ううん、『ホットロード』だけじゃない、紡木世界ではほとんどそれはタブーなんだよねー。初心い恋だけが好きなんだってさー。そりゃ良かったねー。でもそれ押し付けるのやめてくんない? そのモノサシだけで測るのやめてくんない? 押入れにしまいこんでる紡木を時々出してきては読み返し、青春の日々を思い出してるつもりの人たちに言う、現実逃避してるだけっしょ?
 誰かが書き込んでたな、紡木スレでさ。このスレだけ2ちゃんねるじゃないみたいって。本当にそうなんだからマイルYO! コンビニ売り版の『ホットロード』買って、親子2代で読んでます? そりゃ和希&ママとそっくりな親子になるだろうYO!(藁 ああああああ、もおイヤミがとまんねえや。イヤミな引用でもして終わりますわ。娘が母に言うセリフだお──

「想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこって、その吊床の上で人々はお昼寝をたのしみます。そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つようになるのです、磨き立ててぴかぴか光った。あなた方は薔薇をみれば美しいと仰言り、蛇を見れば気味が悪いと仰言る。あなた方は御存知ないんです、薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互いに姿を変え、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、獅子を見れば恐ろしいと仰言る。御存知ないんです、嵐の夜には、かれらがどんなに血を流して愛し合うかを。神聖も汚辱もやすやすと姿を変えるそのような夜を御存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、そういう夜を根絶やしにしようとお計りになる。でも夜がなくなったら、あなた方さえ、安らかな眠りを二度と味わうことはおできにはなりません。」三島由紀夫『サド侯爵婦人』(新潮文庫81ページ)より引用