アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

昔あった自信みたいな物/何処置いたっけ?

 
 D

 ニコニコ動画でニコラップを聴く前、自分は初音ミクをよく聴いてました。2007年の暮れくらいまではかなり熱心に。ボカランも毎週チェックしてたし、例のジャスラック騒動の時には2ちゃんの議論板もチェックしてました。
 初期の楽曲は特に名曲揃いで、好きな曲いっぱいあるけれども、そんな中でもとりわけ大好きなのがフナコシPの楽曲。今でもわりとヘビロテしてる。たぶんだけど、聴いてきた音楽のバックボーンが同じなんだろうと思うんです。ようするに、一番同世代性を感じる音楽なわけです。


 そう思っていたら、今回の新曲では着想に浅羽通明先生のお名前まで出てきた。*1これはもうまちがいなく同世代だなあと思った次第で、さっそくフナコシPのtwitterまでフォローさせていただきました。


 今回の新曲を聴いて自分がまっさきに思い浮かべたのは、高野文子先生の「美しき町」(単行本『棒がいっぽん』収録)。昭和30年代*2の工場団地を舞台にしたこの掌編にある諦観みたいなものは、あの新曲のそれと同質ものもなんじゃないかと思うのです。


 現在不況と言われていますが、おそらく抜け出せることはないとオレは思っています。資本主義って、魅力的な商品が売れることで回っていたわけですよ。高度経済成長の時代ならいわゆる三種の神器、すなわちテレビ、冷蔵庫、洗濯機、それらがバンバン売れる。田中角栄が総理になって列島改造論でバンバン工事されて交通網が整っていく。物流が変わる。団塊の世代がマイホーム幻想で建売住宅でいっぱいのニュータウンがバンバンできる。商品売れまくりで右肩上がりで社会変わりまくりですよね。
 ひるがえって今、魅力的な商品ってないじゃないですか。あってもしょせん小物でしょ。社会が一変するような商品って、もう出しようがないじゃないですか。


 たぶんだけど、究極の商品というか商品の最終形態ってパソコンだったんですよ。だって、なんでもできるじゃないですか。
 たとえばこういう楽曲を、一人で作ってしまえて、おまけにPVも作れて、それを発表すらできて。パソコンとネット環境っていう究極の商品が整って、あとはどんぐりの背比べなわけですよ。Core2DUOよりi7だろ、とかね。ADSLより光だろ、とかね。
 今はパソコンを家電と抱き合わせで売っていくしかない時代なんですよ、テレビパソコンとかね。セカンドマシンとしてのネットブックとかもその変種みたいなもんでしょ。


 こういう状況に対して、変えたいとか、夢を持つべきだとか、「なにくそ!」と思って踏ん張れとか、それこそ夢みたいなことやらピント外れの精神論を言う人もいますけど、それらはもう全部間違ってるんじゃないですかね。そうじゃなくて、この状況を諦観でもって受け止めたほうが良いんじゃないですかね。自分はそう思います。
 その諦観というのは、絶望感みたいなものでもなく、それはそれで楽しかったりつらかったりする日常がたんたんと続いて、「このままずっと何も変わんないままでさ」とか思っていたんだけれども、過ごしていくうちにふと思い出す「昔あった自信みたいな物」、「根拠もない/不安もない/あの頃の感じ」。諦めたはずなのに、なんでそんなことを思い出すのか。思い出してみて、初めてそれが大切なものだったと知ること。知ることで喪失感を味わうこと。味わった喪失感に浸るのではなく、身につけた諦観を再利用してもう一度自分で自分を「騙す」こと。


 そういう不思議なすり抜け方で、喪失感=意味の向こう側へたどりつけるように書かれているリリックだと思うんですよね。しかもそれが、「騙す」っていう表現が用いられることで、最初から客観性が入っているから距離を置いて聴けるようになっている。否、距離を置かないと意味が通らない構造になっている。
 意味の向こう側へ「飛び立つ」ための曲なので、つかんだ意味はあまり重要ではないばかりかむしろ邪魔になる。なぜなら「感傷的にすぎると/とても以前の様に/舞い上がれやしない」からです。*3
 こういった少し複雑な構造が、フナコシP自ら「少し変な曲です。最後まで聞いて頂けると有難い。」と語る所以ではないかと思うのです。


 最後になりますが、今回もぐこんさんを紹介することがフナコシPのもうひとつの主眼だと思われますので、HPのリンクを貼っておこうと思います。こちらです。
 自分もWEBマンガを読みましたが、やはり作品の空気感は高野文子さんのそれに近いように思えました。


*1:オレは未読ですが(←ダメじゃん)、友人が『昭和三十年代主義』の書評を書いてるのでよろしければご参照ください。

*2:書かれているテレビ音声「秋の国体にそなえて/アルファルト化」うんぬんから、おそらく1964(昭和39)年であろうと思われます。

*3:このあたりの論理展開は、橋本治先生の評論『秘本世界生玉子』収録の「もっと…光を!!」あたりがすごく近い、というかソックリです。もっともフナコシPはお読みではないかもしれませんが。