ゴーギャン展
若い友人にさそわれ、いっしょにゴーギャン展へ行ってきた。東京国立近代美術館だ。早くからさそわれていたのだが、お互い八月後半は忙しく、なかなか調整がつかなかったため、少し遅くなってしまった。おかげで期間限定展示であった大原美術館所蔵『かぐわしき大地』を見逃してしまった。*1
その点は残念だったが、今回のゴーギャン展では『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という、ゴーギャンの最高傑作と言われているものが含まれており、こちらは国内初公開という。そればかりか、所蔵先のボストン美術館以外での公開は三回目なんだそうで、貴重な機会でもあるしぜひ見ておきたいと思っていた。
話が飛んでしまって恐縮だが、ビンテージハワイアンシャツにゴーギャンをモチーフにしたものがある。「ゴーギャン・ウッドカット」と呼ばれるもので、10年ほど前に国内復刻メーカーによって復刻され、ビンテージファンを中心に話題を呼んだことがある。
その当時、半ば販促も含めての企画であったのだろうが、ワールドフォトプレス社より『MASTER BOOK OF HAWAIIAN SHIRT』という、ビンテージハワイアンシャツを集めたムック本が出版され、「ゴーギャン・ウッドカット」の詳細についても書かれている。
曰く、「ゴーギャン・ウッドカット」はゴーギャンのタヒチ紀行である著書『ノアノア』に使われた木版画をモチーフにして作られているのだという。私はこれに興味をそそられ、古本屋にて岩波文庫版の『ノアノア』(前川堅市さん訳)を購入していた。木版画目当てなので長らく未読だったのだけど、良い機会なので前日に通読した。解説とあわせて良い予習となった。
ゴーギャンは株式仲買人として重要なポストについていたにも関わらず、内面のデモーニッシュな美への衝動から職を捨て芸術家への道へ進みたちまちのうちに生活苦となり家族離散。貧困と無理解から文明社会への呪詛にとりつかれ、逃避行先として仏領ポリネシアのタヒチへたどり着くことになる。彼が43歳の時だ。『ノアノア』はこの際のタヒチ滞在についてのエッセイとなっている。
文明を穢れとして退けたゆえに、タヒチの民の原始的生活や習俗、神話などに興味を頂いたゴーギャンは、彼らと生活を共にし、年若い現地妻(年齢差三十!)を得ることで、創作のインスピレーションを膨らませ、牧歌的な、それでいて神秘的な生活を謳歌することになる。しかし、突然のやむなき理由によりフランスに帰国することとなり、出航する船を呆然と眺める現地妻を、船上より双眼鏡で見つめているといったシーンでエッセイは終わる。
今回のゴーギャン展にはこの『ノアノア』での木版画も含まれており、出版を含め複雑な経路を辿ったこの作品の原形態を余すところなく確認することができる。*2
そればかりか、この『ノアノア』での木版画含めて、タヒチ滞在時代の作品にはいくつかの構図やモチーフが繰り返し用いられており、それらを統合的に盛り込んだのが、今回の目玉である大作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』となっているという解釈で順路が作られている。そのため、順路はほぼ時系列となっており、作家の道筋を辿っていけるばかりでなく、立体的でわかりやすいものとなっている。*3
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は、まず巨大さで見るものを圧倒する。縦一三九・一×横三七四・六センチ、縦は畳の約一・五倍、横は約二倍になる。いたるところに配置された神話的構図やモチーフは、現代のコラージュアートに近い構造を持っていると言えるだろう。個人的には横尾忠則氏のポスターを連想した。
展示スペースのすぐ横に、見どころポイント的に解説しているコーナーを設けており、美術初心者にもわかりやすくなっていて好評を博しているようだった。その解説での解釈のみが正解と受け取られかねない危惧はあるにしても、画期的な試みだと思った。
この他にも有名俳優を起用した音声ガイドや子ども向けの書き込み式解説リーフレットなどさまざまな企画を用意しており、主催者側の熱意が感じられる。私も友人も大満足した催しであった。*4
なお、以下は私見による『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』ならびにゴーギャン評だ。一解釈のバリエーションとしてお読みいだきたい。
『ノアノア』で予習した身としては、画面右側に赤ん坊、左側の老婆の配置から、時間は右から左へと進んでおり、これは一人の女性を表しているのではないかと考えた。しかし、これではありきたりな解釈と言える。
しからば、ゴーギャン自身の女性観を多面的に描いている、というのはどうだろうか。そうなると月の神の化身も含まれてることから、彼の女性観は土着の宗教と混ざり合い錯綜していたと言える。また、中央の未成熟な少女がもっとも大きく描かれていることからも未成年への性的趣向があったのではないかと考えられる。ありていに言ってロリコンということだ。
事実、最初のタヒチ滞在では十三歳少女と、戻ったパリでも同年齢の別の少女と、二度目のタヒチ滞在の際にもやはり同年齢くらいの別な少女と同棲し、ついには子どもを孕ませてもいる。
彼が四九歳の時に、最初の妻との間の長女が亡くなったとの知らせが届きショックを受けたというが、長女は二十歳。長女の死の一ヶ月ほど前、同棲していた十四歳少女に孕ませた子が生まれ、生後すぐに亡くなってしまったという。
自殺を考えるようになり、遺言的大作である『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を描くのは、十四歳少女が出産した子が死んだ一年後のこと。*5
あるいは少女の背後にある土着の宗教に翻弄された結果、芸術作品として再配置することでそれを理解しようとしたのかもしれない。
しかし常識的に考えれば、自分の娘よりも幼い少女を孕ますということに見られるように、奇妙にバランスを欠いた彼自身にこそ問題があったのではないかという結論を出すのはそうむずかしいことではないと思われる。その意味で、本展にて販売している図録にある「いまなお絵の前に立つ者を深い瞑想へ誘う」という言葉が、この画家の問題点を隠蔽する機能として働いていないか検討する必要があるのではないかと思う。
むろん常識で測れないのが芸術ではあるのだが。
ノア・ノア―タヒチ紀行 (岩波文庫)posted with amazlet at 09.09.03おすすめ度の平均:のんきなゴーガン
文明世界より南国へ