アポストロフィーS

ワンワン!ワンワンワン!

あんまり整理できてないような…(´・ω・`)

 とりあえず、『エウレカ』ならびに『げんしけん』で似てるなーと思ったエピソードをまとめてみると、以下のようになる…かな。

 自己嫌悪で現実から逃げ出そうとしている女の子を、男の子が追いかけて全肯定する。

 これは、イザナギイザナミ神話(『古事記』『日本書紀』)の場合と逆っすよね。
 イザナギは、未練がましく昔の女(イザナミ)に逢いに行ってみたら、死んでてウジが沸いてて腐ってて臭くてブサイクで…よーするにこの世のものとも思えなかったと(そりゃ死んで黄泉の国にいるんだから、すでにあの世の住人なんだし当然だろ常識的に考えて…)
 そんで誓った愛もどこへやら、「きめええええええええwwwwwwwww」と叫びつつ一目散に逃げ出しましたとさ…っていう、よく考えたら最悪の展開なワケですよ…。*1
 ところが、我らがレントンや、笹やんはですね、自己嫌悪な女の子を全肯定しちゃうと。ただ、お相手である女の子側が、キャラとしてかわいく描かれてることで、女のブス問題がどっかいっちゃうんじゃないかなーって思ったんですよ。
 つまり、イザナギイザナミ神話に展開的に似てて、しかもそこでの男の子たちはイザナミのダメさを超えてるよなって思えてウレシイ半面、相手役がかわいければ、そりゃそういう展開になっても当然っちゃあ当然なんじゃないの?? とも思っちゃうと。


 じゃあ、その「女のブス問題」って何なの? バカなの?ってことになるワケなんですが、ようするに肯定されるか否定されるか、自分が受け入れられるか受け入れられないかっていう、実はそんだけなんだよねー、ミもフタもなく言っちゃうと。
 でもよーく考えてみたら、いや、考えるまでもなく、そこらあたりもちゃんと描いているよね、『げんしけん』も『エウレカ』も。
 『エウレカ』の場合、2クール目あたりの例の発掘現場でのエピソードね、地下=黄泉の国からエウレカを連れ戻すエピソードね。
 『げんしけん』の場合、マンガのネームをめぐってケンカするエピソードが、もうズバリそのあたりを描ききってて見事ですよね。まあ、そこ以外にも荻上の自己嫌悪っぷりが、これでもかってくらいヲタのツボにハマるように描かれていて、本当にすばらしいです。フツーの一般人になれないヲタな自分への自己嫌悪が同族嫌悪をkskするあたり、荻上を自分事としてとらえている男ヲタはかなり多いはず*2、しかもそれが腐女子カルチャーの解説にもなっているという至れり尽くせりなワケですよ。あとはかわいい腐女子を見つければイイだけっていう…。
 おっと、話がズレとる。
 よーするに、絵だけで萌えてたらダメって言いたいだけなんだわ。商業作品なんだし、かわいく描かれてるのは当たり前っちゃ当たり前。んでも、それだけじゃないよな。絵的にかわいいっていうだけしか取り得がなかったら、単に薄いよなっていう。
 で、ブスか美人かっていう二択しか発想がないのは、薄い考え方だよなって言いたかったんです>< でも、そんな薄い考えにハマってしまう時期もあるよなって。
 ブスよりは美人のほうがイイけどさ、内面なんていらないとは(少なくともオレは)思ってないワケです。あと、美の基準ってのは、外にあるものじゃなくって内にあるものだから、人それぞれになっちゃうよね。まあ、時代や世相に縛られはするんだけども。でも、絶対的な基準というのはないワケです。
 ある人が「美人だなー」「かわいいじゃん」っていう女の子がいたとして、別な人はその女の子を「きめえええええwwwwwwww」って言ってたりする。ニコニコの※とか見てると、え、こんなコまでブス呼ばわりなの?っていう場合がたいへん多くて、おじさんビックリなんですよ。


 それにつけても、こういう話は何か言い訳っぽいトーンになっちまうのはなぜなんだぜ? 自分でも、書いててなんだか取り繕ってる感があるな…。いやいや、そんなことはないはず。でも、なんか微妙にまとめきれてないのがくやしいんだぜ…。


*1:しかも、この世とあの世にフタした後で、禊しちゃったらアマテラス・ツキヨミ・スサノオの三人が産まれたっていう…。昔の女のこと洗い流すように忘れたら、子どもに恵まれたみたいなさー、あんまりな展開だと思わない??

*2:まあ、かくゆう自分がその一人なワケなんですがwwwww